「バイブコーディング」という甘美な罠
調剤薬局の現場に立ち続けて35年。
老眼鏡をかけながら、日々の処方監査や服薬指導に明け暮れる私にとって、プログラミングとは「自分とは別世界に生きる若者たちの特技」でした。
そんな私が、ある雑誌とWeb記事で目にしたのが「VIBE CODING(バイブコーディング)」 という言葉でした。
「これからの時代、コードを書く必要はない。やりたいことをAIに『バイブス(ノリや雰囲気)』で伝えるだけで、誰でも簡単にシステムが作れる!」
……なんと甘美な響きでしょう。
「これなら、パソコンで文字を打つのが遅い私でも、薬局のあの面倒な集計作業を一瞬で終わらせるツールが作れるかもしれない!」
そう信じ込んだ私は、家族が寝静まった夜、意気揚々とパソコンを開いたのでした。
最初の壁:黒い画面(ターミナル)への恐怖
AIに「薬局で使う簡単な在庫メモを作りたい」とお願いしたところ、AIは非常に親切にこう答えてくれました。
『承知しました!ではまず、ターミナルを開いて以下のコマンドを実行してください』
……ターミナル?
コマンド?
デスクトップのどこを探してもそんなボタンはありません。
ようやく探し当てた「黒い画面」を開いた瞬間、映画のハッカーのような画面が出てきて、早くも心臓がバクバクと音を立てました。
AIが教えてくれた呪文のようなアルファベットをコピーし、黒い画面で右クリックを連打。
しかし何も起きません。
「壊れたのか?」「ウイルスか?」とパニックになりながら30分間格闘した末、ようやくショートカットキーの押し間違いだと気づきました。
この時点で夜の23時半。まだ一行も進んでいません。
エラーの山と「血の滲む苦しみ」
なんとか指示通りに進めたものの、次に待っていたのは赤色で表示される無数の「Error」の文字でした。
SyntaxError: unexpected tokenModuleNotFoundError: No module named ...Permission denied
薬剤師として35年間、薬の名前や副作用の専門用語なら何千語と頭に入っています。
しかし、この英語のエラーメッセージは一文字も意味がわかりません。
まるで古代の象形文字を見せられているような絶望感でした。
「バイブスでできるんじゃなかったのか……」
「結局、頭のいいプログラマーにしかできない世界なんじゃないか……」
悔しさと情けなさで、目がショボショボし、肩はガチガチに凝り固まりました。
深夜2時、静まり返ったリビングで「もうやめようか」と本気で思いました。
救ってくれたのは、現場の仲間と「AIとの対話のコツ」
翌朝、充血した目で出勤した私を見て、若い薬局スタッフ(調剤事務さん)が心配して声をかけてくれました。
「先生、どうしたんですか?顔色が悪いですよ」
「実はね、薬局の業務をもっと楽にしたくて、昨夜パソコンでシステムを作ろうとしたんだけど、エラーばかりで全然動かなくてね……」
苦笑いしながらスマホでエラー画面の写真を見せると、彼女は笑いながら言いました。
「先生、これ、AIに『このエラーが出たけど、私は初心者だから小学生でもわかるように直す手順を1つずつ教えて』ってそのまま送ればいいんですよ!」
目から鱗が落ちました。
私は「プログラミング用語で正しく聞かなければならない」と思い込んでいたのです。
その夜、言われた通りにエラー画面をそのままAIに投げ、
「私は定年間近のPC初心者です。専門用語を使わず、次にどのボタンを押せばいいか教えてください」
と添えてみました。
するとAIは、
『大変でしたね!焦らなくて大丈夫ですよ。今起きているのは〇〇という原因です。マウスでこの文字をコピーして、そのままEnterキーを1回だけ押してください』
と、まるで私の隣で優しく手取り足取り教えてくれる先生のように噛み砕いて案内してくれたのです。
指示通りにEnterを押した瞬間――
画面に、私がずっと欲しかった「薬の在庫入力ボックス」がポツンと表示されました。
- AIにはカッコつけず、弱音も初心者であることも全部伝えること
- エラーは「怒られている」のではなく「道案内」に過ぎないこと
- 一人で抱え込まず、職場の仲間に話してみること
失敗こそが、私たちの宝物になる
たった1つの入力画面を出すために、徹夜をして、冷や汗をかいて、血の滲むような思いをしました。
プロのエンジニアから見れば「たったこれだけのこと」かもしれません。
でも、自分の手で、AIと一緒に、薬局の未来の一歩を踏み出せたあの瞬間の震えるような感動は、35年間の薬剤師人生の中でも忘れられない経験になりました。
このブログは、そうした「初心者の泥臭い失敗」をすべて書き残していきます。
全国のどこかで、同じように「現場を変えたいけれどパソコンが怖い」と震えている誰かの、小さな灯火になれるように。
まだまだ奮戦は続きます!